外資系リーマンのゆるコミット

必ずやります、たぶんそのうち

Facebookはもはや一部のKYのためのツールに成り下がっている

Facebookを見て不快感を覚えるようになったのは今に始まったことじゃない。

イタイ男の仕事自慢や既婚女子の子供自慢にはもううんざりだ。

自己アピールや承認欲求を満たすための記事なんて見たくないし、あなたが昼に何を食べたかなんてことも興味がない。

海外行ってきます!という空港での無意味なチェックインもいらないし、政治や経済について持論を語るのは居酒屋でやってほしい。

そもそもFacebookは徐々に、一部のKYの人のためだけのものに成り下がっている気がする。

仲の良い友人たちや好意を持つ同僚、先輩の投稿はFacebookからすっかり消えた。

自分自身も、文句を言いながら時々覗きには行くものの、投稿はここ数年ほとんどしていない。

Facebookに投稿する人が少なくなったのは、Facebookが「普及しすぎたこと」に原因があると思う。

Facebookはあまりに一般的なコミュニティになりすぎて、もはやそこにプライベート感は無くなった。

投稿した情報は、親しい友達だけではなく、飲み会で一度だけ会った人、会社の同僚や上司、取引先や遠い親戚にまで拡散されていく。

こうなると、Facebookはもはや公の場だ。

そこで公開した内容は自分の知人、あらゆる人の目にさらされる。

普通の人はこのような環境で、気軽に投稿することをためらう。

Facebookがユーザーを増やすに連れ、そこで情報を発信する時の息苦しさは増している。

そこで、躊躇なく自己アピールや日々のどうでもいいことを投稿できるのは一部のKYだけだ。

この手の人は元がKYであるがゆえ、周りからの目という意識が無いので、投稿もイタイ内容が増える。

自慢話や中身の無い話を見たら、周りがどう思うかという配慮はそこには無い。

Facebookのユーザーが増えたことで、KYの人しか投稿しないようになり、その投稿がイタイので普通の人はFacebookから距離を置くようになり、益々一部の人しか投稿しなくなるという悪循環にもはやFacebookは陥っているのではないか。

ここまで言うと、だったら使わなきゃいいだけの話だということになるが、少ないとはいえ興味ある投稿があることは確かだし、遠い友人の近況がわかって面白いこともある。

ただ、これらのメリットよりも、KYで汚染された情報に不快感を覚える要素の方が大きくなったなら、その時はFacebookから卒業することになるし、そのタイミングは刻一刻と迫っているように思える。

Facebookは人を繋ぐインフラとしてしばらくは残り続けるだろうが、もはやとっくにクールで魅力的なツールでは無くなっているのかもしれない。