外資系リーマンのゆるコミット

必ずやります、たぶんそのうち

外資系の成果給制度は品行方正な人間をだめにする

外資系で働く魅力の一つに成果給がある。

営業職であれば売った金額の数%がそのまま「インセンティブ」や「コミッション」と呼ばれる形で臨時ボーナスとして支給され、もし大きな商談を獲得できた時には実入りも相当なものになる。

これがどうして、なかなか中毒性のある仕組みなのだ。

規模の大きくなるであろう商談を見つけると、まだ売れるかも分からないのに、将来入ってくるだろう金額を想定して思わず頬がゆるみ、呼吸が荒くなる。

「1億規模の商談だから、取ったら300万くらいはもらえるかな(゜Д゜)ハアハア」

とかやって、エクセルをはじきながら、入ってくるであろう金額を舌なめずりで計算している姿は、欲にまみれた実に見苦しい光景である。

私は、新卒で大手日系のメーカーで勤めた後、外資系に転職したが、以前の職場ではこのような成果給制度は無かった。

成果を出して評価されれば多少年収が増えることはあるが、売った分だけお金が入ってくるといった分かりやすい仕組みにはなっていない。

当時は、その評価制度に特に不満を持っていたわけでは無く、そもそも成果に見合った収入が欲しいとか、まして売った分だけ金をくれ!なんておこがましいことは考えもしていなかった。

多くの会社では固定給が当たり前だし、経営的な観点から言っても、お金で人のモチベーションを高められないことを著名な経営学者様がおっしゃっていることも知っていた。

それが外資系の評価制度に慣れてしまうと怖いもので、今では、安定した日系企業で働く友人を見ては、「成果給の無い仕事でよくやる気になるなあ」なんて上から目線の、ゲスな考えを持つ人間となってしまった。

外資系企業にいると、転職は当たり前で、よく人材会社や同業他社の人事部からお誘いを頂いたりもするが、その際にも、もはやインセンティブの無い会社には移ろうと思わない。

例えば中途採用会社説明会に足を運び、社長の熱い話を聞いて、「おお、素晴らしい経営理念と魅力的な事業だ」と思ったとしても、「営業は固定給でインセンティブは無いです」と聞くと冷めてしまい、

「まあ、よく考えると、そこまで事業に興味もないし、社長は話は面白いけどスーツの色変だし、ていうかちょっと家から遠いし。」などと自分を納得させて応募を見送ることもしばしば。

まったくお金の力というのは恐ろしいものである。


ちなみに強調しておきたいのだが、私は元々そこまで金銭欲の強い浪費家では無く、どちらかというと堅実なタイプで、物質的な欲求より精神的な満足を重視する方である。

よって、仕事を選ぶときも、事業そのものの魅力とか、成長できる環境かどうかとか、会社の雰囲気や一体感などといった、お金以外の要素を重要視している、高尚な人間であると自負している。

オーダーメイドのスーツと高級時計を身に着けて、キレイな女性を夜景の見える高級フレンチにエスコートして甘い一夜を過ごしたい、、「そのためには金だ!金が必要だ!!」などというやましい願望は、ほんの少ししか持っていない。

 

とはいえ、現実問題としてお金は大事だし、成果としてまとまったお金が入ってきた時に出る脳内麻薬たるや、相当なものなのだ。

そこにはギャンブルで勝った時のようなある種の高揚感、中毒性があるようにも思う。

おそらく、安定して高い収入をもらい続けるより、成果を出した時に、ドカッとお金がもらえる方が刺激的なんだろう。

この喜びを一度味わってしまうと、中々そこから離れるのは難しい。

繰り返すが、私は元々そこまで金銭欲の強い人間では無く、どちらかというと、社会貢献や奉仕の精神を最優先の価値とする、高尚な思想を持った人間である。

投資信託の値上がり幅を見て唾液を飲み込んだり、深夜にパソコンで銀行口座の残高を見てニヤニヤしていることなんていうのは、ごくまれなことだ。


要するに、このように品行方正な私のような人間でさえ、お金の魔力に取りつかせてしまう外資系の評価制度は恐ろしいということだ。

お金は仕事の全てでは無く、仕事に対しては自分の成長や、達成感を求めていきたい。

しかし、仕事の成果として大きなお金を手に入れることは、他では替えがたい魅力であることもまた事実。

金で人を釣って動かそうという発想は、とても下劣で品の無いやり方ではあるが、それを会社の仕組みとして実現してくれる成果給のルールは、一度でもそこで成功を味わってしまった人間をそこから離れなくさせる魔性の制度なのである。