外資系リーマンのゆるコミット

必ずやります、たぶんそのうち

なぜ人は目が悪いことを競うのか

 

目が悪い人にとっては心当たりがあると思うが、視力の低い人達は時に、自分の目の悪さを競うことがある。

 

「俺、コンタクトなんだけど裸眼だと本当になんも見えないんだわー」

 

「俺も俺も、両眼でも視力0.1だからね」

 

「いや、俺なんて0.05だから!」

 

「いやいや、私なんて0.001でコンタクト取ったら全部モザイクだから!」

 

「いや俺なんて0.000(ry」

 

なんだこれは。

 

得意なことで争うならまだしも、なぜ自分の欠点である『目の悪さ』で競うのか。

 

実に不思議だ。

 

そもそも人は自虐アピールにより注目を集めたいという欲求があるらしい。

視力低いアピールもその一環であることには違いないが、それにしては、私はこの光景を幾度と無く目にしたし、自分も数え切れないほどこの競争に参加した記憶がある。

 

この、言うなれば『目が悪い自慢選手権』が、なぜ全国で日々繰り広げられてられているのか、ビジネスで培ったロジカルシンキングを武器にその理由を検証してみた。

知り合いのドヤ顔系コンサルタントによれば、たいていの課題は3つの切り口で説明出来るらしいので、3つの切り口で整理してみた。

(ちなみに、プレゼンでも無く普通の打ち合わせで「理由は3つあります」という喋り方をする人を見るとなぜか鳥肌が立つ、あと長くなりそうで嫌だなと思う)

 

1.数値化できる

視力は数値で測ることが出来る。

数値化できるということは客観的な基準で競うことができるということだ。

まるで100メートル走のタイムを競うかのように数値で比較し、競争することができるのだ。

例えばこれが、数値化が出来ない欠点だったらどうだろう。

 

「俺、めちゃくちゃ胃腸が弱いんだよね。」

「俺も俺も、朝の電車でいつも腹いたくなって大変なんだよな。」

「そうか、お互い大変だな。良い薬見つけたからこれ試してみ。」

 

 

平和だ、実に平和だ。

数値化できない欠点はお互いの悪さを比べようがないので、そこに競争は産まれない。あるのは共感のみだ。

数値化できるからこそ、そこに比較と争いが生まれるのだ。

 

また数値化できないものは、評価に人の主観が入る。

例えば、顔のルックスについても一般的にイケメン、カワイイとかの基準はあるものの、人によって好みはあるし、良い悪いという基準だけで図りにくいものだ。

 

主観に左右されない「数値化」が公平で健全な競争を産むのだ(なんの話だっけこれ)

 

2.競技人口が多い

現代社会において、視力が低い人はとても多い、これは『目が悪い自慢選手権』の「競技人口」が多いことを意味する。

目が悪い人に比べると耳が悪い人というのは少ない。

「俺、60dBまでしか聞こえないんだよね」という申告をしたら 「そうなんだ、あんまピンとこないけど大丈夫?大変だね」と心配されるのが普通だ。

6人くらいのグループで会話していても半分くらいは視力が悪いため、誰かが目が悪い話をした瞬間に、その都度「選手権」がスタートする。

 

また目が悪い人は、年齢や性別を問わず多く、悩みや課題も共通のため男女や世代を越えた競争も容易である。

女性は、自分の体重でもって太った自虐アピールをよくするし、中年男性はよく血糖値や血圧の数値の悪さを競っているが、いずれも特定のカテゴリの人達の中での競争である。

それに比べて視力は、カテゴリをまたいだ競争ができる数少ない領域だ。

まさにダイバーシティの属性を超えたオープンな競技と言える (なんの話だっけこれ)

 

3.治療できる

視力の低さは眼鏡やコンタクトを使えば矯正できる。

技術の力によって生活に支障が無いからこそ、自分の欠点をかくもオープンに明るいトーンで、どこでもさらけ出すことが出来るのだ。

これが、治せない病気や欠点だとそうもいかない。

 

「俺、重度の病で歩けなくなるんだよね。」

いや、笑えない。とても自慢選手権など出来るわけが無い。

 

チビやハゲといったありがちな欠点も、基本的には矯正が難しいため、自虐アピールをすればするほど、本人もみじめになるし聞いている方も気分が悪くなる。コメントに困る、というやつだ。

その点、目の悪さは、どんなに目が悪くても「今この瞬間は見えている」という前提があるから、まるで過去の失敗談のように盛り上がることが出来る。

 

視力の低さは、通常「欠点」というものにつきまとう、劣等感やコンプレックスを伴わない、数少ない自虐要素なのである。

つまり、目の悪さは単に多くの人から共感を得やすいというだけでは無く、言っている方も聞かされている方も不快にならない、自虐アピールが本質的に内包する課題を解消している点で、人間の欠点の中でも大変稀有な(ry

 

以上、「目が悪い選手権」が今日も全国で広く楽しまれている理由の考察である。

 

ロジカルシンキングを発動させている過程で、特にMECEでは無く、体系化されていない事に気がついたものの、自分の能力が不足していることと時間のムダであることに気づいてやめました。

 

さぁ、今日もみんなで目の悪さを競おう!