外資系リーマンのゆるコミット

必ずやります、たぶんそのうち

お金があってこそ、お金で買えない物の価値に気づくジレンマ

人生にはある程度のお金は必要だが、お金で買えない物こそが人生にとってより重要である。

こんな当たり前のことに気が付くまで、かなり時間がかかった。

世の中、お金では買えない大切なものが実に多い。

家族や友人との人間関係や、持続的な健康、やりがいのある仕事に、没頭できる趣味。

お金で買えないものこそが人生に幸福をもたらしてくれると今では強く思う。

特に良好な人間関係は、豊かな人生を送るために極めて重要で、それを裏付けるこんな研究も世界で行われている。

(from TED TALK)

www.ted.com

 

自分が、お金で買えない物が重要だと思えるようになったのは、皮肉にも、ある程度お金が稼げるようになったからだ。

別にいやらしい自慢をするつもりではなく、運良く仕事で成果を出すことが出来て、その年ばかりはそれなりの収入を得られたことがある。

外資系ならではの一過性の稼ぎなので、将来の保証など全くないが、とにもかくにもある程度のお金を得ることが出来た。

そうしてお金を手にすることによって、お金で実現できることなど、実はたいしたことでは無いと気が付いてしまったのだ。

これは自分にとって非常に幸運なことだった。

何しろ、ある程度のお金を得ることによって、お金の呪縛から解き放たれることが出来たからだ。

仕事を必死に頑張ってきて、ある程度お金を稼げるようになると、昔から欲しい欲しいと憧れていたモノやサービスを手にすることが出来るようになった。

高級ブランドのスーツや時計、ハイスペックのIT機器や家電製品、有名店の豪華ディナーに海外リゾート地でのバカンス。

いずれも学生や社会人になり立ての頃は、勝ち組の象徴としていつかは実現したいと夢描いていた贅沢を、幸運にも概ね経験することが出来た。

しかしそれらは、一度手にしてみるとほとんどが、自分にとってさほど重要でないものばかりだった。

一瞬の満足感や喜びは得られるものの、長く深い幸福感をそこから得られることは無かった。

むしろ、生活レベルが上がり贅沢を経験すればするほど、それに対しての有難みや喜びは薄れていくばかりだ。

確かにお金はあるに越したことは無い。

快適な住居の中で便利な生活をし、美味しい物を食べ、旅行や観光で経験の幅を広げて、家族にも余裕のある暮らしを提供できる。

お金があることによって、日々の生活が充実することは明らかだ。

しかし一方で、お金で得られる人生の満足感なんてものはたかが知れている。

お金は、所詮モノやサービスを消費するための手段だ。

モノやサービスは、短期的な快楽や利便性を得るためには必要だが、それらがあれば人生が全て満たされるというものでも決して無い。

お金さえあれば、絶対的に幸せな人生が送れるというのは間違いだ。

例えいくらお金があったとしても、健康や、家族や、友人や、熱中できる仕事や趣味といった「お金では得られない物」が欠けている人生は不幸だ。

反対に、例えお金がそこまで多くは無かったとしても、これらの重要な物を持ってさえいれば、強い満足感を得られることは可能だと思う。

それくらい、「お金で得られない物」は非常に重要だ。

にもかかわらず、お金が放つ魔力は、その事実を人から忘れさせるほどにあまりにも強い。

人は往々にして、お金を得るために、「お金で得られない物」を犠牲にしてしまう。

収入を得るために仕事に没頭して家族との時間を犠牲にしたり、お金のために友人を裏切ったりなんていう話は日常茶飯事だ。

お金への呪縛が、時に人を不幸にしてしまう。

そして皮肉なことに、お金の呪縛から解き離たれるための一番有効な方法は、必要十分なお金を実際に得ることだ。

お金を得て、お金でやりたいことをおおよそやり尽くし、欲求を解消しない限り、中々お金の魔力からは逃れられない。

そうしてお金に対して過度な幻想や期待を持たなくなることによって、お金で買えない物がより輝いて見えるものだ。

お金を著しく稼いだ経営者は社会貢献に注力するようになり、また富裕層の家に育った子供は、お金より自身の信念のために生きるという。

お金を得ることによってこそ、見えてくる景色というものもそこにはあるのだろう。

彼らのような階層の人達とは比べ物にはならないが、幸運にも自分が満足できるだけの収入を一時的にでも得ることが出来た。

そこで見えてきた、お金で買えないものの価値をよく頭に刻みつけて、優先順位を間違えないように人生を送りたいものである。