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LIXIL社長交代の報道に、日本式の凝り固まった「働き方」への価値観を見た

GEから鳴物入りで入社し、LIXIL統合後の事業見直しや海外展開を中心にしたM&Aなどで、手腕を奮って来た藤森社長の交代が、先日発表された。

 

www.nikkei.com

「LIXILグループは21日、藤森義明社長兼最高経営責任者(CEO、64)が2016年6月に退任し、工具通販大手のMonotaRO(モノタロウ)の瀬戸欣哉会長(55)が社長に就く人事を発表した。藤森氏は米ゼネラル・エレクトリック(GE)出身の「プロ経営者」として注目された人材で、11年に就任した。だが、買収した海外企業との統合作業は道半ばで、十分に結果を出したとは言いがたい中での退任となった。」(記事抜粋)

私自身が外資系の価値観にすっかり染まってしまったためなのか、ここで報道されている記事の表現を見て、「働き方」や「キャリア」における、日本式の凝り固まった考え方を見て取ってしまう。

1.「道半ば」

まず、就任から5年目、このタイミングでの交代を「道半ば」と、まるで責任を放棄したかのような言い回しをされていることだ。

藤森社長のような外資系出身者にとって、5年で次のステップを求めて転職することは別に自然なことである。

例え、結果が十分で無かったとしても、5社もの会社が統合して出来たLIXILを束ねて、リーダシップを取って事業再編をリードしていくのは並大抵のことでは無い。

そんな重責を負いながら、様々な変化を会社にもたらして多くの意思決定を行い、5年を区切りとして次のステップへ進んでいくことに「道半ば」という言葉を使うことには違和感がある。

私が以前いた会社では9ヵ月で社長が変わってしまったこともあり、さすがにここまでいくと「道半ば」どころか「道に足を踏み入れた」レベルでの退任と言えるが、外部から来て5年も社長をやれば期間としては一段落と言えるのではないか。

スティーブジョブズ氏のような創業者が長く経営を担ったり、ルノー出身の日産カルロスゴーン氏のような長期政権も当然見られるが、外資系では3年で社長交代なんてこともザラだ。

今回の退任については、別の報道で「買収失敗の責任を取らされた」とか「元社長の潮田氏が引導を渡した」とか好き勝手なことが書かれているが、藤森社長からすれば5年という期間は「そろそろ頃合い」というタイミングだったのだろう。

 2.「唐突な交代劇」

「唐突な交代劇」という表現もよくわからない。

社長交代に「そろそろ交代しますよー!」なんて事前の告知なんかあるわけない。

トップの人事なんて、外部はもちろん一般社員だって直前まで知らされないのが普通だ。

前ぶれの無い社長交代に対してこのような記事の書き方になってしまうのは、「普通、何か理由が無ければ社長交代はしないものだ」という思い込みが、報道する側に強くあるように思える。

多くの日系大企業の社長交代は、高齢による世代交代か、業績不振や不祥事の責任を取った形の辞職が多いから、そんな固定観念が自然と生まれてしまうだろう。

現場の一般社員だって特に理由が無くとも異動や転勤があるように、社長だって一定期間で交代するケースがあっても別にいい。

その間に、誰もが納得する結果を出せない限りは社長を辞めてはならない、なんてことも別に無い。

ご自身の中で一定の区切りがついたと思えば、次の人に使命を託せばいい話だ。

「結果が出るまでなんとしてもやる!」と本人のプライドでポストに居座られて、時に迷惑な場合だってある。

例えば、スポーツの世界でもプロ野球の監督を5年続ければ長い方になるし、W杯の日本代表監督は毎回変わっている。

それと一緒で、トップが一定のサイクルで変わるのはむしろ会社としてワンマン経営に陥っていない証拠でもある。

3.「プロ経営者」

これは藤森社長に限った話では無いが、特にMBAホルダーの外資経験者を「プロ経営者」と一括りにして表現することもしっくりこない。

藤森社長の場合は自称しているふしもあるので、一方的な報道とは言えないかもしれないが、本来、経営者に素人もプロも無いのではないか。

外部から来た人材をプロと呼び、生え抜き社長をプロでないとするなら、生え抜きの経営者に失礼な話だし、「プロ」という言葉を中途経営者への皮肉まじりに使うとしたら、それこそ良い表現とは言えない。 

もし「プロ」という言葉を文字通り「専門家」という意味で使うとしても、社長業を渡り歩く人材が、生え抜き経営者よりも経営の「専門家」であるかというと、必ずしもそうではない。

経営者としての能力に、生え抜きか中途かは関係が無いはずだ。

そもそも創業家の二代目や起業家を別にすれば、中途入社で社長に就任した人も、何もある日突然経営者になったわけでは無い。

社長就任の前に、別の会社でマネージャー、部門責任者と役職を重ねてトップに上り詰めたわけで、その意味では生え抜きの社長とキャリアのプロセスは変わらない。

様々な会社で社長業をこなせば経験の幅は増えるであろうが、それを持って「プロ」か「プロでないか」と論じることは出来ない。

ましてやMBAホルダーだからと言って経営の「プロ」なんてことは言えるはずがない。

 「プロ経営者」等という表現は、普通は生え抜きがトップになるべきだ、という古い慣習や思い込みに縛られたレッテル張りと言えるのだ。

 古くからの慣習に凝り固まった「働き方」への価値観にはうんざりだ

5年での社長交代を「道半ば」の「唐突な交代劇」と表現し、外部から来た社長を「プロ経営者」と括る報道から、働き方への凝り固まった価値観を見て取れる。

 もういい加減、「一つの場所で長く働き続けることが美徳だ」とか「責任を果たすまで役割を全うすべきだ」という古くからの価値観に基づいて働き方を論じるのはやめにしないか。

 元はと言えば、日本の労働市場があまりにも硬直的であることに問題がある。

 今よりもっと会社同士での人材の行き来が活発になっていいし、自分の意思で自由に仕事を選べるようになるべきだ。

 もちろん長く働くことを選びたい人はそうすればいいが、そうでない場合に、今の日本はあまりにも選択肢が少なすぎる。

 一日も早く、他社でキャリアを積んでトップに立った人を「プロ経営者」などと区別して呼ぶことのない、柔軟な働き方を良しとする考え方へと日本全体が変わっていってほしいと思う。