プライドが高い者同士による、プライドを守るための静かで醜い争い
年末年始、しばらく顔を合わせていなかった友人たちと久しぶりに再会する機会が多かったが、そこで何度か「プライドを守るための戦い」を目にした。
人は自分と他人を比べたがる生き物だ。
人と比べて劣っていることにはコンプレックスを感じ、人より優れていることには優越感を覚える。
特にプライドが高い者同士が出合えば、互いの尊厳を守るためのハイレベルな戦いが始まる。
男は仕事や、収入や、地位を比較しあい、
女は恋愛や、容姿や、幸福度で競い合う。
「あいつより俺の方が稼いでいて、仕事も充実している」とか、
「いつまでも独り身のあの子と比べて、私は結婚もして子供もいて幸せだ」というように、
たとえ意識せずとも他人と自分を比べている。
相手とあまり付き合いが無い場合はもちろん、親しい友人の間であってもそれは同じだ。
親しい友人の間であれば、いかに関係を崩さずにプライドを満たすかという「静かで醜い」争いが繰り広げられていく。
そこで、冒頭のくだりだ。
年末の、とある飲み会は大学時代の友人たち、男女数人でのものだった。
男は業種や規模は違えど、みなそれなりの仕事に就き、女は仕事大好きのOLや専業主婦まで様々な道を歩んでいた。
お酒もほどよく回ったところで、ある友人男性Aが、
「俺、今年仲間と起業してさ、六本木にオフィス構えてITベンチャーやってる」
と仕事の近況を報告し始めた。
その口ぶりには、リスクを取り会社を興した者特有の、誇りと自信が感じられた。
Aの仕事内容を少し聞いた後、隣に座っていた大手金融機関に勤める友人男性Bが、
「すげーじゃん!起業は中々リスクがあって大変だよな。俺、ITベンチャーやってる社長何人か知ってるから誰か紹介しよっか?」
という業界人脈をアピールしつつの、やや上から目線的なサポート提供を申し出たのだ。
Aは、話の腰を折られたのが少し不満そうに、「おーそうだな。まあ今のとこ仕事は好調だし、サラリーマン時代よりも自由にやれて楽しいよ。俺も社長の知り合いはそこそこいるから、またなんかあった時頼むわ」
と、会社勤めをあえて「サラリーマン」と表現しながら、そっけない態度で対応した。
束の間、そこに微妙な空気が漂ったのを男たちは敏感に察知した。
そして誰が始めるとも無く、すぐさま学生時代のバカ話、女性関連の下世話な話題へとトークの舵が切られていった。
みんなそれぞれ、自分の仕事にはプライドを持っている。
一流企業に入ったり、起業したりするような奴ならなおさらだ。
そのプライドを傷つけたり否定することは、例え友人同士でも、いや友人だからこそあってはならないのだ。
友人関係を円満にするためには、本当の争いになる前に戦いを避けることが必要だ。
男たちはそのことを十分わかっている。
成果を誇り、アピールしたいが、衝突は避けたい。
そんな自尊心と気遣いの合間で男たちの会話は絶妙なバランスを保っているのだった。
一方で、女性たちは「独身組」と「結婚組」で明らかに立場が分かれて、そこにも確かに「プライドを守る戦い」が起きていた。
友人女性Cは、渋谷の某Web関係の会社に勤めている独身キャリアウーマンだ。
仕事は芸能界とも関わりがあり、なかなか華やかなモノらしい。
Cは「最近立ち上げたサービスのプレスで、ジャニーズと仕事したんだけど○○って実物は足が短くて、全然かっこよくなかったよ」
と、話題性のあるトークを振り込んだ。
芸能人をいじることによって、嫌味の無いよう表現はされているものの、その口ぶりは自分が華やかな仕事をしているという「ドヤ感」に溢れていたものだった。
Cのオブラートな「仕事アピール」に、積極的に感嘆の声や相槌を打つ女子たち。
たいして興味が無い人もいただろうが、相手の話を上手く受け入れる(ふりをする)女性のスキルには脱帽だ。
Cの話が一通り終わった後、友人女性Dが口を開く。
彼女は2年前に結婚して仕事を辞め、今は一児のママである。
「華やかな仕事で楽しそうー!私なんて結婚してから旦那と子供の相手ばっかりで大変だよ。仕事してた頃が懐かしいなー」
文字で表現すると単なる感想と近況であるが、その口ぶりは「まだ働いてるなんて大変だね」と言わんばかりの嫌味とも取れる言い方にも感じられた。
Dは「でも家族円満で幸せそうじゃーん。まあ私は結婚はまだいいかな。仕事がもう少し落ち着いてからで。」
と、誰も聞いていない自身の結婚願望を補足しながらコメントしていた。
このやりとりは会話の一コマであるが、その後も「独身組」と「結婚組」で、違う立場に分かれた上でのトークが続いた。
そして、そのうちの誰もが、口ではお互いを羨ましい、憧れると言いながらも、本心からその思いを持っているようには感じられなかった。
「こちらの立場の方が幸せだ」という見えない争い、「自分が持っているもの」を頑なに守ろうとする自意識がそこにあったように思えてならなかった。
いや、これについては私があまりにもひねくれたうがった見方をし過ぎているのかもしれない。
本当は、みんな単に思いや感想を口にし、素直に相手の立場を尊重していただけなのかもしれない。
しかし少なくともその場に居合わせた限りは、いわゆる「マウンティング女子」のやりとりを目にした思いに駆られ、背筋が寒くなったのだった。
人は「自分が持っているもの」と「相手が持っていないもの」により比較をする。
そこで自分が持っているものに誇りを持ち、プライドを満たそうとする。
「同じものを持っているもの同士」の冷戦に近い争いはいつも身の回りにあるし、
「違うものを持っているもの同士」の互いに大事なものを守り合う戦いもよく見られる。
これらの争いはともすると見苦しくて滑稽なものであるが、プライドや自尊心を持つことは人間ならではの個性だ。
そこから繰り広げられる人間模様は、なかなか面白いし、プライドが活動のエネルギーになることもあるから捨てたもんじゃない。
人はこれからも比較をして、互いに競い続ける生き物なんだろう。
そんな哲学に浸った年の瀬。
私も小さくて不毛なプライドを大切にして今年も頑張って行こうと思う。
Facebookはもはや一部のKYのためのツールに成り下がっている
LIXIL社長交代の報道に、日本式の凝り固まった「働き方」への価値観を見た
GEから鳴物入りで入社し、LIXIL統合後の事業見直しや海外展開を中心にしたM&Aなどで、手腕を奮って来た藤森社長の交代が、先日発表された。
「LIXILグループは21日、藤森義明社長兼最高経営責任者(CEO、64)が2016年6月に退任し、工具通販大手のMonotaRO(モノタロウ)の瀬戸欣哉会長(55)が社長に就く人事を発表した。藤森氏は米ゼネラル・エレクトリック(GE)出身の「プロ経営者」として注目された人材で、11年に就任した。だが、買収した海外企業との統合作業は道半ばで、十分に結果を出したとは言いがたい中での退任となった。」(記事抜粋)
私自身が外資系の価値観にすっかり染まってしまったためなのか、ここで報道されている記事の表現を見て、「働き方」や「キャリア」における、日本式の凝り固まった考え方を見て取ってしまう。
1.「道半ば」
まず、就任から5年目、このタイミングでの交代を「道半ば」と、まるで責任を放棄したかのような言い回しをされていることだ。
藤森社長のような外資系出身者にとって、5年で次のステップを求めて転職することは別に自然なことである。
例え、結果が十分で無かったとしても、5社もの会社が統合して出来たLIXILを束ねて、リーダシップを取って事業再編をリードしていくのは並大抵のことでは無い。
そんな重責を負いながら、様々な変化を会社にもたらして多くの意思決定を行い、5年を区切りとして次のステップへ進んでいくことに「道半ば」という言葉を使うことには違和感がある。
私が以前いた会社では9ヵ月で社長が変わってしまったこともあり、さすがにここまでいくと「道半ば」どころか「道に足を踏み入れた」レベルでの退任と言えるが、外部から来て5年も社長をやれば期間としては一段落と言えるのではないか。
スティーブジョブズ氏のような創業者が長く経営を担ったり、ルノー出身の日産カルロスゴーン氏のような長期政権も当然見られるが、外資系では3年で社長交代なんてこともザラだ。
今回の退任については、別の報道で「買収失敗の責任を取らされた」とか「元社長の潮田氏が引導を渡した」とか好き勝手なことが書かれているが、藤森社長からすれば5年という期間は「そろそろ頃合い」というタイミングだったのだろう。
2.「唐突な交代劇」
「唐突な交代劇」という表現もよくわからない。
社長交代に「そろそろ交代しますよー!」なんて事前の告知なんかあるわけない。
トップの人事なんて、外部はもちろん一般社員だって直前まで知らされないのが普通だ。
前ぶれの無い社長交代に対してこのような記事の書き方になってしまうのは、「普通、何か理由が無ければ社長交代はしないものだ」という思い込みが、報道する側に強くあるように思える。
多くの日系大企業の社長交代は、高齢による世代交代か、業績不振や不祥事の責任を取った形の辞職が多いから、そんな固定観念が自然と生まれてしまうだろう。
現場の一般社員だって特に理由が無くとも異動や転勤があるように、社長だって一定期間で交代するケースがあっても別にいい。
その間に、誰もが納得する結果を出せない限りは社長を辞めてはならない、なんてことも別に無い。
ご自身の中で一定の区切りがついたと思えば、次の人に使命を託せばいい話だ。
「結果が出るまでなんとしてもやる!」と本人のプライドでポストに居座られて、時に迷惑な場合だってある。
例えば、スポーツの世界でもプロ野球の監督を5年続ければ長い方になるし、W杯の日本代表監督は毎回変わっている。
それと一緒で、トップが一定のサイクルで変わるのはむしろ会社としてワンマン経営に陥っていない証拠でもある。
3.「プロ経営者」
これは藤森社長に限った話では無いが、特にMBAホルダーの外資経験者を「プロ経営者」と一括りにして表現することもしっくりこない。
藤森社長の場合は自称しているふしもあるので、一方的な報道とは言えないかもしれないが、本来、経営者に素人もプロも無いのではないか。
外部から来た人材をプロと呼び、生え抜き社長をプロでないとするなら、生え抜きの経営者に失礼な話だし、「プロ」という言葉を中途経営者への皮肉まじりに使うとしたら、それこそ良い表現とは言えない。
もし「プロ」という言葉を文字通り「専門家」という意味で使うとしても、社長業を渡り歩く人材が、生え抜き経営者よりも経営の「専門家」であるかというと、必ずしもそうではない。
経営者としての能力に、生え抜きか中途かは関係が無いはずだ。
そもそも創業家の二代目や起業家を別にすれば、中途入社で社長に就任した人も、何もある日突然経営者になったわけでは無い。
社長就任の前に、別の会社でマネージャー、部門責任者と役職を重ねてトップに上り詰めたわけで、その意味では生え抜きの社長とキャリアのプロセスは変わらない。
様々な会社で社長業をこなせば経験の幅は増えるであろうが、それを持って「プロ」か「プロでないか」と論じることは出来ない。
ましてやMBAホルダーだからと言って経営の「プロ」なんてことは言えるはずがない。
「プロ経営者」等という表現は、普通は生え抜きがトップになるべきだ、という古い慣習や思い込みに縛られたレッテル張りと言えるのだ。
古くからの慣習に凝り固まった「働き方」への価値観にはうんざりだ
5年での社長交代を「道半ば」の「唐突な交代劇」と表現し、外部から来た社長を「プロ経営者」と括る報道から、働き方への凝り固まった価値観を見て取れる。
もういい加減、「一つの場所で長く働き続けることが美徳だ」とか「責任を果たすまで役割を全うすべきだ」という古くからの価値観に基づいて働き方を論じるのはやめにしないか。
元はと言えば、日本の労働市場があまりにも硬直的であることに問題がある。
今よりもっと会社同士での人材の行き来が活発になっていいし、自分の意思で自由に仕事を選べるようになるべきだ。
もちろん長く働くことを選びたい人はそうすればいいが、そうでない場合に、今の日本はあまりにも選択肢が少なすぎる。
一日も早く、他社でキャリアを積んでトップに立った人を「プロ経営者」などと区別して呼ぶことのない、柔軟な働き方を良しとする考え方へと日本全体が変わっていってほしいと思う。
ITを駆使して起業するヒントは「仲介役」にあり
起業といえばIT、そんなイメージを持つ人は多いと思う。
IT関連のビジネスは、その気になればパソコン1台から始めることが可能で、最初に大きな元手を必要としないため、学生や20代の若者が起業するための手段としてはうってつけだ。
IT以外の手段で起業がなされるケースももちろん多いが、ほとんどの産業においてメジャーな大企業が市場を支配している中で、一から新しいビジネスを作り上げていくのは簡単ではない。
お金も経験も無く、いきなり自動車業界や家電業界に参入するのは不可能だし、比較的参入しやすい飲食業や小売店も、とても競争が激しい上に、そのスケールは小さなものになりがちだ。
これらの産業と比較すれば、ITサービスの領域は参入コストが低く、アイディア次第で大きな可能性が生まれるため、起業となると現実的な選択肢となりやすい。
さて、一口にITと言っても様々なビジネスが存在する。
スマホのゲームアプリもITであるし、企業向けのシステム開発もIT業界のそれとして位置づけられる。
そんな中で広く世の中に大きなインパクトをもたらすビジネスが、売り手と買い手を結びつける「仲介役」としてのWebサービスである。
ITを活用した「仲介役」のビジネスは、ITが持つ情報処理能力とネットワークの力を大きく活かし、時には既存の市場を破壊するほどのインパクトをもたらすことになる。
ここで言う「仲介役」の定義は、下記のようなものだ。
・ある製品やサービスを買いたい人と売りたい人を結びつける
・自分たちは、取り扱う製品、サービスそのものを持っているわけでは無い
自分たちは物を作ったり、サービスそのものを提供するのではなく、あくまでも需要と供給を結びつける役割に徹することがその特徴になる。
事例から見る「仲介役」としてのITサービス
この「仲介役」にあたるサービスとして代表的なものがAmazonを始めとするE-コマースサイトだ。
Amazonは元々は書籍の販売から始まっており、本を買いたい人と売りたい人を仲介するサービスだった。
彼らは自分たちで本を編集したり、出版することは無いが、本の流通を一手に担うことで、出版業界のあり方を大きく変えるサービスとして普及していった。
今では様々な商品を取り扱うようになり、あらゆるモノの買い手と売り手を結びつける市場として日に日に存在感を増している。
Amazonの登場により、従来、百貨店や家電量販店といった小売店で買い物をしていた人たちがWebから物を買うようになり、買い手と売り手の仲介役をWebサービスが果たすようになった。
このように、買い手と売り手の結びつけ、「仲介役」を果たすようになったWebサービスは他にもたくさんの例がある。
Amazonはあらゆる商品を扱う巨大な市場として機能しているが、アパレルに特化したサービスとしてZOZOTOWNがある。
ZOZOTOWNは服の売り手と買い手を仲介することで、アパレル業界の流通を変えた。
実物を見ずに服や靴を買うという、新しい消費のトレンドがZOZOTOWNによって生み出されることになったのだ。
ZOZOTOWNも、Amazonと同様に自社製品の販売は一切行っていないが、服の売り手と、買い手が使いやすい仕組みを作ることによって、多くのユーザーを獲得していくことになった。
そして、ITの「仲介役」はこれらの目に見える商品のみにとどまらない。
例えばAppleはiTunesを提供することで、音楽を売りたい人と買いたい人を仲介する役割を果たし、音楽業界のあり方を変えてしまった。
これまで、レコードやCDという媒体で流通していた音楽コンテンツは、Webから簡単にダウンロードして入手できるようになった。
不動産業界では、リクルート社のSUUMOが、複数の不動産業者と消費者を仲介するポータルとして高い認知度を誇っているし、金融業界でも、ネット証券の登場によって、あらゆる証券会社の金融商品をWeb画面からいつでもどこでも注文できるようになった。
このように、自社で製品やサービスを持たずとも、需要と供給のネットワークを作る事で収益を上げるサービスが増えてきている。
最近のベンチャー企業の取組みの例では、PairsやOmiaiなんていう婚活アプリが出てきて、結婚をしたい人同士を、正に文字通り「仲介」するサービスがユーザーを集めている。
婚活関連ののビジネスは、昔から対面を前提にした結婚相談所は存在していたが、Webでこれを実現し、若者向けに広くPRを実施することで、ユーザーの利用のハードルを大きく下げ、多数の会員を獲得することに成功している。
また、ユニークなものでは、駐車場を借りたい人と駐車スペースを貸したい一般の方を結びつけるakippaというサービスがある。
これは、一般の人が自宅の空いたスペースを他の人に有料で貸し出すことを「仲介」するものである。
駐車スペースを貸す人は、家の余った土地で手間をかけず副業ができ、また駐車場を借りる人は、駐車場が少ない場所でもスペースを確保することが出来、双方にメリットがあるサービスだ。
自力で駐車場ビジネスを始めようとすると準備や手続きが面倒だが、こういったWebサービスがあることで、誰でも余った土地を活用した商売を簡単に始めることが出来る
これらのように、企業と消費者(B to C)では無く、一般の消費者同士(C to C)を「仲介」することによって、新しい市場を生み出すサービスは他にもあって、海外でも先行事例が多い。
アメリカ発のairbnb(エアービーアンドビー)は世界で広く普及しているサービスで、自分の家をホテル代わりに一時的に貸したい人向けのプラットフォームだ。
自宅の情報をサイトに登録すれば、家を借りたい人から申し込みが出来る仕組みになっている。
部屋を借りる人から見れば、コスト重視で泊まる場所を探したい時、民間ホテルや旅館以外での選択肢として活用することが出来る。
自分の家を貸すというのは一見抵抗がありそうだが、世界190ヶ国以上で実績があり、既に日本にも上陸している。
こういった一般の人同士を結び付けるサービスは、これまで無かった市場を新たに作り出すことになり、場合によってはこれまで存在していた業界を脅かすことに繋がる。
エアービーアンドビーでいえば、ホテル事業者では無い一般の人たち同士が取引を行うことによって、既存のホテル業界のパイを奪っていく可能性を持ってるのだ。
「仲介役」ビジネスが社会にもたらすインパクト
このように、ITによって商品やサービスの買い手と売り手の「仲介役」になることで、 革新的なサービスを生み出している企業が多く存在している。
これらのサービスの普及は、それまで「仲介役」として機能していた既存の産業に対して、大いに影響をもたらすことにある。
本や音楽の流通が、Webに取って替わりつつあると叫ばれて久しいが、Amazonやi Tunesの普及によって、既存の書店やCDショップといった市場は縮小の一途にある。
「仲介役」としてのITサービスは既存のビジネスを根本的に破壊するパワーを占めているのである。
そして、このような「仲介役」のビジネスは一度業界リーダーになってしまうとその地位が揺らぎにくい。
本を買おうと思えばAmazonだし、音楽を買おうと思えばAppleというイメージ=ブランドは後からその地位を奪いに行こうとしてもかなりハードルが高い。
「仲介役」として覇権を取ってしまえば、多くの人がそのサービスを使うことになるので、ユーザー数の増加と共にその利便性も高まっていって、着実に成長、拡大していくことになる。
そこには、既存の業界構造をAmazonやAppleといった特定のIT企業が変えていって、ビジネスを一社が総取りするという構図が生まれるのである。
また、注目すべきはこれらの「仲介役」のサービスは、世の中にあふれる「需要と供給のアンバランス」を最適化するという意味で、非常に社会貢献性の高い事業だということにある。
モノやサービスが溢れる現代社会で求められているのは、社会全体で製品、サービスの総量をこれ以上増やしていくことではなく、「生産と消費のバランス」を適正に保つことだ。
欲しがっている人がいるのに、それを見つけられる環境が無い。
それによって、余ったモノが捨てられたり、資源を十分に活用できなかったりする。
Webを通じて、買いたい人、借りたい人を見つけることが出来れば、資源の有効活用に繋がっていく。
生産者と消費者をITがうまく仲介し、需要と供給のバランスを取る事によって、社会全体でムダが無くなるならば、その存在価値は単に利便性の枠を超えたものになりうる。
こういった意味で、ITで売り手と買い手の「仲介役」を果たすサービスは、ビジネスとして大きなチャンスを得られるだけでなく、世の中に大きなインパクトをもたらす可能性を秘めているのである。
理想のキャリアを作るために、あえてお金やステータスを捨てる勇気
外資系には尖った変人ばかりじゃなくて穏やかな常識人も絶対に必要
外資系には尖った変人が多いとよく言われる。
確かに仕事で成果を出しさえすれば、見た目や性格に多少難がなっても許される雰囲気があるし、どちらかと言えば、協調性よりも自己主張が重視される傾向があるかもしれない。
今の会社で、ざっと社内を見渡して見てもインパクトのある人、キャラが濃い人が多い。
まず髪型や服装がほぼ自由なので、見た目からしてカタギのサラリーマンっぽくない人をよく目にする。
隣の営業部にも、肌は色黒、赤フレームのメガネに、口ひげ、アゴヒゲを蓄え、極太ストライプのスーツにミッキーのネクタイを好んで合わせてくる、見た目EXILEの出来損ないみたいな人がいる。
尖った変人ばかりでは会社は回らない
仕事だけの人生に後悔する男を見ると、女性の方が幸せの本質を理解している気がする
仕事に熱中するあまり、家族や友人と過ごす時間をおろそかにしてきた人が、晩年になって後悔するという話を耳にする。
仕事を最優先にして、色々な犠牲を払ってきたサラリーマンが、「子供と過ごす時間を大切にするべきだった」「妻に感謝をしてもっと話を聞いてあげるべきだった」といった反省の想いを、歳をとってから抱くことは多いらしい。
オーストラリアの看護士が綴ったという、死ぬ直前に後悔する5つのこと、という記事が話題になったことがあるが、ここでも「あんなにがむしゃらに働かなくてもよかった」という項目が入っていたりする。
男性より女性の方が幸せの本質を理解している
盛り上がりだけを考えるなら、若いうちに結婚式を挙げた方が絶対にいい
結婚式の盛り上がりだけを考えると、ある程度若いうちに式をあげたほうが絶対にいい。
結婚式の出席を重ねれば重ねるほど切にそう思う。
何回出ても結婚式は良いものに変わりはないし、特に近しい友人の式ともなれば感動はなおさら。参加しているこちらまで幸せな気持ちになることは間違いない。
とは言え、年齢を重ねるにつれ、結婚式に出た時の感じ方、感動の度合いが変わってきていることを実感する。
やはり周囲より早いタイミング、二人がまだ若いうちの結婚式の方が、会場はより盛り上がり、純粋な感動が起こりやすい。
新郎新婦の年齢がある程度高い結婚式も、落ち着いた雰囲気で別の良さはあるが、盛り上がりという意味では、若者同士の式に敵わない。
こうなってしまう理由は単純で、式の参列者、そして新郎新婦、共に年齢が高くなること。これに尽きる。
参列者の平均年齢上昇による影響
まず、参列者の年齢が全体的に高くなることの影響について考えてみる。
結婚式全体の雰囲気や盛り上がりは、参列者の反応に大きく左右される。
式には同世代の友人、知人を参列者として招くことが多いから、結婚する年齢が高いと、当然参列者の平均年齢も上がる。
どんなに高学歴でデキるやつでも3年目まで発言権が無いのは仕方ない
下積み期間を経て、徐々に仕事を任せられるようになる
リスクを恐れて外資系への転職を踏みとどまっている人へ
外資系企業は実力主義で、クビもあり得る分、働く場所としてはリスキーだと思われることが多い。