外資系リーマンのゆるコミット

必ずやります、たぶんそのうち

LIXIL社長交代の報道に、日本式の凝り固まった「働き方」への価値観を見た

GEから鳴物入りで入社し、LIXIL統合後の事業見直しや海外展開を中心にしたM&Aなどで、手腕を奮って来た藤森社長の交代が、先日発表された。

 

www.nikkei.com

「LIXILグループは21日、藤森義明社長兼最高経営責任者(CEO、64)が2016年6月に退任し、工具通販大手のMonotaRO(モノタロウ)の瀬戸欣哉会長(55)が社長に就く人事を発表した。藤森氏は米ゼネラル・エレクトリック(GE)出身の「プロ経営者」として注目された人材で、11年に就任した。だが、買収した海外企業との統合作業は道半ばで、十分に結果を出したとは言いがたい中での退任となった。」(記事抜粋)

私自身が外資系の価値観にすっかり染まってしまったためなのか、ここで報道されている記事の表現を見て、「働き方」や「キャリア」における、日本式の凝り固まった考え方を見て取ってしまう。

1.「道半ば」

まず、就任から5年目、このタイミングでの交代を「道半ば」と、まるで責任を放棄したかのような言い回しをされていることだ。

藤森社長のような外資系出身者にとって、5年で次のステップを求めて転職することは別に自然なことである。

例え、結果が十分で無かったとしても、5社もの会社が統合して出来たLIXILを束ねて、リーダシップを取って事業再編をリードしていくのは並大抵のことでは無い。

そんな重責を負いながら、様々な変化を会社にもたらして多くの意思決定を行い、5年を区切りとして次のステップへ進んでいくことに「道半ば」という言葉を使うことには違和感がある。

私が以前いた会社では9ヵ月で社長が変わってしまったこともあり、さすがにここまでいくと「道半ば」どころか「道に足を踏み入れた」レベルでの退任と言えるが、外部から来て5年も社長をやれば期間としては一段落と言えるのではないか。

スティーブジョブズ氏のような創業者が長く経営を担ったり、ルノー出身の日産カルロスゴーン氏のような長期政権も当然見られるが、外資系では3年で社長交代なんてこともザラだ。

今回の退任については、別の報道で「買収失敗の責任を取らされた」とか「元社長の潮田氏が引導を渡した」とか好き勝手なことが書かれているが、藤森社長からすれば5年という期間は「そろそろ頃合い」というタイミングだったのだろう。

 2.「唐突な交代劇」

「唐突な交代劇」という表現もよくわからない。

社長交代に「そろそろ交代しますよー!」なんて事前の告知なんかあるわけない。

トップの人事なんて、外部はもちろん一般社員だって直前まで知らされないのが普通だ。

前ぶれの無い社長交代に対してこのような記事の書き方になってしまうのは、「普通、何か理由が無ければ社長交代はしないものだ」という思い込みが、報道する側に強くあるように思える。

多くの日系大企業の社長交代は、高齢による世代交代か、業績不振や不祥事の責任を取った形の辞職が多いから、そんな固定観念が自然と生まれてしまうだろう。

現場の一般社員だって特に理由が無くとも異動や転勤があるように、社長だって一定期間で交代するケースがあっても別にいい。

その間に、誰もが納得する結果を出せない限りは社長を辞めてはならない、なんてことも別に無い。

ご自身の中で一定の区切りがついたと思えば、次の人に使命を託せばいい話だ。

「結果が出るまでなんとしてもやる!」と本人のプライドでポストに居座られて、時に迷惑な場合だってある。

例えば、スポーツの世界でもプロ野球の監督を5年続ければ長い方になるし、W杯の日本代表監督は毎回変わっている。

それと一緒で、トップが一定のサイクルで変わるのはむしろ会社としてワンマン経営に陥っていない証拠でもある。

3.「プロ経営者」

これは藤森社長に限った話では無いが、特にMBAホルダーの外資経験者を「プロ経営者」と一括りにして表現することもしっくりこない。

藤森社長の場合は自称しているふしもあるので、一方的な報道とは言えないかもしれないが、本来、経営者に素人もプロも無いのではないか。

外部から来た人材をプロと呼び、生え抜き社長をプロでないとするなら、生え抜きの経営者に失礼な話だし、「プロ」という言葉を中途経営者への皮肉まじりに使うとしたら、それこそ良い表現とは言えない。 

もし「プロ」という言葉を文字通り「専門家」という意味で使うとしても、社長業を渡り歩く人材が、生え抜き経営者よりも経営の「専門家」であるかというと、必ずしもそうではない。

経営者としての能力に、生え抜きか中途かは関係が無いはずだ。

そもそも創業家の二代目や起業家を別にすれば、中途入社で社長に就任した人も、何もある日突然経営者になったわけでは無い。

社長就任の前に、別の会社でマネージャー、部門責任者と役職を重ねてトップに上り詰めたわけで、その意味では生え抜きの社長とキャリアのプロセスは変わらない。

様々な会社で社長業をこなせば経験の幅は増えるであろうが、それを持って「プロ」か「プロでないか」と論じることは出来ない。

ましてやMBAホルダーだからと言って経営の「プロ」なんてことは言えるはずがない。

 「プロ経営者」等という表現は、普通は生え抜きがトップになるべきだ、という古い慣習や思い込みに縛られたレッテル張りと言えるのだ。

 古くからの慣習に凝り固まった「働き方」への価値観にはうんざりだ

5年での社長交代を「道半ば」の「唐突な交代劇」と表現し、外部から来た社長を「プロ経営者」と括る報道から、働き方への凝り固まった価値観を見て取れる。

 もういい加減、「一つの場所で長く働き続けることが美徳だ」とか「責任を果たすまで役割を全うすべきだ」という古くからの価値観に基づいて働き方を論じるのはやめにしないか。

 元はと言えば、日本の労働市場があまりにも硬直的であることに問題がある。

 今よりもっと会社同士での人材の行き来が活発になっていいし、自分の意思で自由に仕事を選べるようになるべきだ。

 もちろん長く働くことを選びたい人はそうすればいいが、そうでない場合に、今の日本はあまりにも選択肢が少なすぎる。

 一日も早く、他社でキャリアを積んでトップに立った人を「プロ経営者」などと区別して呼ぶことのない、柔軟な働き方を良しとする考え方へと日本全体が変わっていってほしいと思う。

 

ITを駆使して起業するヒントは「仲介役」にあり

起業といえばIT、そんなイメージを持つ人は多いと思う。

IT関連のビジネスは、その気になればパソコン1台から始めることが可能で、最初に大きな元手を必要としないため、学生や20代の若者が起業するための手段としてはうってつけだ。

IT以外の手段で起業がなされるケースももちろん多いが、ほとんどの産業においてメジャーな大企業が市場を支配している中で、一から新しいビジネスを作り上げていくのは簡単ではない。

お金も経験も無く、いきなり自動車業界や家電業界に参入するのは不可能だし、比較的参入しやすい飲食業や小売店も、とても競争が激しい上に、そのスケールは小さなものになりがちだ。

これらの産業と比較すれば、ITサービスの領域は参入コストが低く、アイディア次第で大きな可能性が生まれるため、起業となると現実的な選択肢となりやすい。

 

さて、一口にITと言っても様々なビジネスが存在する。

スマホのゲームアプリもITであるし、企業向けのシステム開発もIT業界のそれとして位置づけられる。

そんな中で広く世の中に大きなインパクトをもたらすビジネスが、売り手と買い手を結びつける「仲介役」としてのWebサービスである。

ITを活用した「仲介役」のビジネスは、ITが持つ情報処理能力とネットワークの力を大きく活かし、時には既存の市場を破壊するほどのインパクトをもたらすことになる。

 ここで言う「仲介役」の定義は、下記のようなものだ。

・ある製品やサービスを買いたい人と売りたい人を結びつける

・自分たちは、取り扱う製品、サービスそのものを持っているわけでは無い

 自分たちは物を作ったり、サービスそのものを提供するのではなく、あくまでも需要と供給を結びつける役割に徹することがその特徴になる。

 

事例から見る「仲介役」としてのITサービス

この「仲介役」にあたるサービスとして代表的なものがAmazonを始めとするE-コマースサイトだ。

Amazonは元々は書籍の販売から始まっており、本を買いたい人と売りたい人を仲介するサービスだった。

彼らは自分たちで本を編集したり、出版することは無いが、本の流通を一手に担うことで、出版業界のあり方を大きく変えるサービスとして普及していった。

今では様々な商品を取り扱うようになり、あらゆるモノの買い手と売り手を結びつける市場として日に日に存在感を増している。

Amazonの登場により、従来、百貨店や家電量販店といった小売店で買い物をしていた人たちがWebから物を買うようになり、買い手と売り手の仲介役をWebサービスが果たすようになった。

 このように、買い手と売り手の結びつけ、「仲介役」を果たすようになったWebサービスは他にもたくさんの例がある。

Amazonはあらゆる商品を扱う巨大な市場として機能しているが、アパレルに特化したサービスとしてZOZOTOWNがある。

ZOZOTOWNは服の売り手と買い手を仲介することで、アパレル業界の流通を変えた。

実物を見ずに服や靴を買うという、新しい消費のトレンドがZOZOTOWNによって生み出されることになったのだ。

ZOZOTOWNも、Amazonと同様に自社製品の販売は一切行っていないが、服の売り手と、買い手が使いやすい仕組みを作ることによって、多くのユーザーを獲得していくことになった。

そして、ITの「仲介役」はこれらの目に見える商品のみにとどまらない。

例えばAppleiTunesを提供することで、音楽を売りたい人と買いたい人を仲介する役割を果たし、音楽業界のあり方を変えてしまった。

これまで、レコードやCDという媒体で流通していた音楽コンテンツは、Webから簡単にダウンロードして入手できるようになった。

不動産業界では、リクルート社のSUUMOが、複数の不動産業者と消費者を仲介するポータルとして高い認知度を誇っているし、金融業界でも、ネット証券の登場によって、あらゆる証券会社の金融商品をWeb画面からいつでもどこでも注文できるようになった。

このように、自社で製品やサービスを持たずとも、需要と供給のネットワークを作る事で収益を上げるサービスが増えてきている。

 最近のベンチャー企業の取組みの例では、PairsOmiaiなんていう婚活アプリが出てきて、結婚をしたい人同士を、正に文字通り「仲介」するサービスがユーザーを集めている。

婚活関連ののビジネスは、昔から対面を前提にした結婚相談所は存在していたが、Webでこれを実現し、若者向けに広くPRを実施することで、ユーザーの利用のハードルを大きく下げ、多数の会員を獲得することに成功している。

 また、ユニークなものでは、駐車場を借りたい人と駐車スペースを貸したい一般の方を結びつけるakippaというサービスがある。

www.akippa.com

これは、一般の人が自宅の空いたスペースを他の人に有料で貸し出すことを「仲介」するものである。

駐車スペースを貸す人は、家の余った土地で手間をかけず副業ができ、また駐車場を借りる人は、駐車場が少ない場所でもスペースを確保することが出来、双方にメリットがあるサービスだ。

自力で駐車場ビジネスを始めようとすると準備や手続きが面倒だが、こういったWebサービスがあることで、誰でも余った土地を活用した商売を簡単に始めることが出来る

これらのように、企業と消費者(B to C)では無く、一般の消費者同士(C to C)を「仲介」することによって、新しい市場を生み出すサービスは他にもあって、海外でも先行事例が多い。

アメリカ発のairbnb(エアービーアンドビー)は世界で広く普及しているサービスで、自分の家をホテル代わりに一時的に貸したい人向けのプラットフォームだ。

www.airbnb.jp

自宅の情報をサイトに登録すれば、家を借りたい人から申し込みが出来る仕組みになっている。

部屋を借りる人から見れば、コスト重視で泊まる場所を探したい時、民間ホテルや旅館以外での選択肢として活用することが出来る。

自分の家を貸すというのは一見抵抗がありそうだが、世界190ヶ国以上で実績があり、既に日本にも上陸している。

こういった一般の人同士を結び付けるサービスは、これまで無かった市場を新たに作り出すことになり、場合によってはこれまで存在していた業界を脅かすことに繋がる。

エアービーアンドビーでいえば、ホテル事業者では無い一般の人たち同士が取引を行うことによって、既存のホテル業界のパイを奪っていく可能性を持ってるのだ。

「仲介役」ビジネスが社会にもたらすインパク

このように、ITによって商品やサービスの買い手と売り手の「仲介役」になることで、 革新的なサービスを生み出している企業が多く存在している。

これらのサービスの普及は、それまで「仲介役」として機能していた既存の産業に対して、大いに影響をもたらすことにある。

本や音楽の流通が、Webに取って替わりつつあると叫ばれて久しいが、Amazonやi Tunesの普及によって、既存の書店やCDショップといった市場は縮小の一途にある。

「仲介役」としてのITサービスは既存のビジネスを根本的に破壊するパワーを占めているのである。

そして、このような「仲介役」のビジネスは一度業界リーダーになってしまうとその地位が揺らぎにくい。

本を買おうと思えばAmazonだし、音楽を買おうと思えばAppleというイメージ=ブランドは後からその地位を奪いに行こうとしてもかなりハードルが高い。

「仲介役」として覇権を取ってしまえば、多くの人がそのサービスを使うことになるので、ユーザー数の増加と共にその利便性も高まっていって、着実に成長、拡大していくことになる。

そこには、既存の業界構造をAmazonAppleといった特定のIT企業が変えていって、ビジネスを一社が総取りするという構図が生まれるのである。

 また、注目すべきはこれらの「仲介役」のサービスは、世の中にあふれる「需要と供給のアンバランス」を最適化するという意味で、非常に社会貢献性の高い事業だということにある。

モノやサービスが溢れる現代社会で求められているのは、社会全体で製品、サービスの総量をこれ以上増やしていくことではなく、「生産と消費のバランス」を適正に保つことだ。

欲しがっている人がいるのに、それを見つけられる環境が無い。

それによって、余ったモノが捨てられたり、資源を十分に活用できなかったりする。

Webを通じて、買いたい人、借りたい人を見つけることが出来れば、資源の有効活用に繋がっていく。

生産者と消費者をITがうまく仲介し、需要と供給のバランスを取る事によって、社会全体でムダが無くなるならば、その存在価値は単に利便性の枠を超えたものになりうる。

こういった意味で、ITで売り手と買い手の「仲介役」を果たすサービスは、ビジネスとして大きなチャンスを得られるだけでなく、世の中に大きなインパクトをもたらす可能性を秘めているのである。 

理想のキャリアを作るために、あえてお金やステータスを捨てる勇気

一部の脱力系の人を除けば、多くのビジネスマンは、自分の好きな仕事、やりがいのある仕事をしたいと願っていると思う。
 
少なくとも、全く適性が無く、情熱も興味も持てない仕事を延々とやらされることは、なるべく避けたいはずだ。
 
望んだ仕事に就く方法、理想とするキャリアを勝ち取るためには様々な手段があるが、ここでは、転職を前提としてキャリアを重ねていく時の一つの方法、ポイントについて考えてみる。
 
もし転職をうまく活用してキャリアを築いて行こうと思うなら、自分が経験してきた仕事の内容や権限については、常に意識した方がいい。
 
転職市場において、企業が中途採用の人材に求めるのは、これまでの職務経験である。
 
採用の主な判断基準は、応募者が過去にどんな仕事を手がけてきて、どんなスキル、ノウハウを持っているかだ。
  
会社の看板や肩書きが求められるケースもあるにはあるが、それ以上に本人のビジネス経験によっておおよそ次のステップ、選択肢が決まってくる。
 
その意味では、転職先の会社やポジションの選択肢は、過去の職務経験の延長線上にあると考えるべきだ。
 
経理をやったことが無い人が財務部のポジションを得ることは普通難しいし、マネージャーをやったことが無い人に部長や事業責任者のオファーが来ることはほとんど無い。
 
「過去の経験が全て」という現実を考慮すると、時に目先のお金やステータスを犠牲にしても、「どんな仕事が出来るか」を重視して道を選んで行くことが重要だということが分かる。
 
例えば、周囲に経験豊富な先輩社員が多く、いつまでも大きな仕事が回ってこない大企業を飛び出して、人材不足の成長企業に入り、責任の大きな仕事を経験することは大きな財産になる。
 
また特に外資系企業においては、転職を繰り返しながらキャリアチェンジ、キャリアアップをしていくことが当たり前なので、会社を変わりながらステップを重ねていく人が多い。
 
同じ業界に勤めていて、一緒に仕事をしたこともある知人は、上が詰まっていて当面マネージャーへの昇格が見込めない会社の現状に見切りをつけ、立ち上げ時期のベンチャーに入り事業部長として経験を積み、次の転職では最初に在籍していた所より市場評価の高い企業のマネージャーのポジションを得た。
 
また他の若手営業の例で、彼は仕事をしているうちに営業よりコンサルに興味が出てきたものの、大手コンサルファームは実績が十分で無いと雇ってはもらえない。そこで、知名度も年収も業界では劣るファームに未経験枠でまず入社し、そこでノウハウを吸収して高い実績をあげ、元々入りたかった企業へと入社を果たした。
 
このように、自分がやりたい仕事があるならば、あえて会社の規模や年収を落としてもそこで数年経験を積み、本来入りたかった企業、やりたかった仕事、就きたいポジションを掴み取ることもできるのだ。
 
理想的なキャリアを作っていくためには、会社でどんな仕事経験を積めるかということを優先して、時には目先の収入や看板を捨てる勇気も必要だということを実感する。
 
もちろん、転職が前提に無い場合は、このようなキャリア形成は難しくなる。
 
万人に転職を薦めるつもりはないし、長く務めることによって最終的には満足する仕事に就けることもあるが、もし今いる会社の延長線上に自分が想い描く姿を見いだせないのなら、思い切ってお金やステータスを捨ててチャレンジする決断をしてもいいのかもしれない。
 

外資系には尖った変人ばかりじゃなくて穏やかな常識人も絶対に必要

外資系には尖った変人が多いとよく言われる。

確かに仕事で成果を出しさえすれば、見た目や性格に多少難がなっても許される雰囲気があるし、どちらかと言えば、協調性よりも自己主張が重視される傾向があるかもしれない。

今の会社で、ざっと社内を見渡して見てもインパクトのある人、キャラが濃い人が多い。

まず髪型や服装がほぼ自由なので、見た目からしてカタギのサラリーマンっぽくない人をよく目にする。

隣の営業部にも、肌は色黒、赤フレームのメガネに、口ひげ、アゴヒゲを蓄え、極太ストライプのスーツにミッキーのネクタイを好んで合わせてくる、見た目EXILEの出来損ないみたいな人がいる。

これが喋ってもかなりアクが強く、聞いてもいない過去の女性経験、仕事自慢を彼が始め出したら、周りは数十分の拘束は覚悟せねばならない。
 
そんな自己主張の強いタイプなので、社内には彼を苦手とする人も少なからずいるが、なぜか営業成績はめっぽう良く、チーム内では主力として頼りにされている。
 
社内のあるエース級のコンサルは、アラフォーのいい歳こいたオッサンでありながら、田舎のヤンキーばりの金髪で、ボロボロのデニムにネルシャツとスニーカーで平気で客先にも出向いていく。
 
しかし、技術にはめっぽう強く、最新のテクノロジーについてプレゼンをさせたら、ITオンチの年配の役員さんをも魅了するほどしゃべりも上手いので、そんな格好でも許されており、むしろ彼のファッションも個性としてみなされ、完全にキャラ立ちしている。 
 
いずれも、伝統的な日本企業では変人扱いされて地方の支店か飛ばされるのか、閑職に追いやられるかが席の山の人達が、外資系という自由な文化の中で実にのびのびと仕事をしている。
 
そんな人達を、能力があれば、という前提で全て受け入れる外資系企業はある意味、包容力があり柔軟な社風を持っているともいえる。
 

尖った変人ばかりでは会社は回らない

こんな人達がことさら目立つので、時に外資系は尖っている変人達が集まる場所だと思われがちだが、実際には穏やかでまともな?人というのも結構多く、外資系なオラオラ、ゴリゴリの自己主張が強い人ばかりいるわけではない。
 
銀行員のようなキッチリした服装に、優しく相手を諭すような物言いをされるタイプや、疲れきった新橋のサラリーマン風な普通のおじさんも当たり前だが多くいる。
 
外資系企業も組織である以上、変人ばかりでは仕事にならない。
尖った人達だけでうまく行く仕事ももちろんあるが、組織はバランスが大切だ。
 
特にビジネスはお客さんあってのこと。
外資系企業とはいえ日本で商売をしている以上、相手の多くは典型的な日本企業のお客さんだ。
 
自己主張が強いだけで、日本人的な気づかいや、配慮に欠けていると、相手から敬遠されてしまい、うまく人間関係が築けない場合もある。
 
そんな時には、誰にでも好感を持たれるような、穏やかで、ある意味目立った特徴の無いタイプの人も必要になる。アクの強い人では無く、安心感のある人に対して心を開いてくれる人は多いものだ。
 
一方で、尖っている人はやはりインパクトがあり相手の印象は残るので、ここぞという商談や、爪痕を深く残したい場面では大いに活躍する。
 
どっちが良いか悪いかの話ではなく、要は役割分担だ。
 
尖った人がプレゼンをして相手に強いメッセージを与えた後に、穏やかな人が後で出向いて、実際あの変な人どうでした?とフォローしたりする。
 
プロサッカーの世界でも、本田選手のような尖ったタイプばかりでは無く、誠実な長谷部選手や謙虚な今野選手のような人達がいてチームのバランスが保たれている。
 
会社も同じで、個性的なカリスマタイプだけではチーム全体として総合力を発揮することはできない。
 
それらの人たちと協調し、時には上手く彼らを活かして仕事を堅実に進める、穏やかな常識人も必ず必要なのだ。
 
もし今の職場環境で周りが個性的でアクの強いタイプばかりで、自分は目立たない存在で活躍できそうもない、と自信を失いかけている人がいたら誤解はしないでほしい。
 
どんな組織でも必ずいろいろなタイプの人材を求めているし、尖った人材ばかりで成り立つ会社なんて無い。
 
その人のキャラクターに応じた活躍の場が仕事の中で必ずあるし、無理に自分を変えていくよりも、置かれた環境でどう活躍出来るか、ということを自分で見つけていくことの方が重要だと思っている。

仕事だけの人生に後悔する男を見ると、女性の方が幸せの本質を理解している気がする

仕事に熱中するあまり、家族や友人と過ごす時間をおろそかにしてきた人が、晩年になって後悔するという話を耳にする。

仕事を最優先にして、色々な犠牲を払ってきたサラリーマンが、「子供と過ごす時間を大切にするべきだった」「妻に感謝をしてもっと話を聞いてあげるべきだった」といった反省の想いを、歳をとってから抱くことは多いらしい。

オーストラリアの看護士が綴ったという、死ぬ直前に後悔する5つのこと、という記事が話題になったことがあるが、ここでも「あんなにがむしゃらに働かなくてもよかった」という項目が入っていたりする。

 ワークライフバランスが叫ばれて久しいが、「仕事で成功することが人生の成功である」という価値観はいまだ根強く、特に闘争心や権力欲のある男性はこのような考え方を持つ傾向が強くみられる。
 
野心が強い男であればあるほど、仕事優先に人生を考えてしまうのは仕方ないし、人生の大半を占めている仕事の時間で、成功を望むのは健全なことではある。
 
しかし、人生の幸福とは何かということをじっくり考えてみると、仕事のみにそれを求めるのは限界があるのかもしれない。
 
確かにお金や権力は男にとって魅力的なアイテムだし、仕事の成功が生活の豊かさに繋がることは確かだが、それを得た所で幸せになれるかどうかはまた別問題だ。
 
成功した所で、周りの人を幸せにできなかったり、大切な人と過ごす時間が無くなってしまっては、 一体何のための人生だったのかと虚しさを感じることになるのだろう。
 
実際に、仕事だけの人生で後悔する人はいるが、逆にプライベート優先、家族優先で仕事がおろそかになって後悔したエピソードというのは全くと言っていいほど聞かない。
 
もしかすると「もっとがむちゃらに仕事をすればよかった」と後悔する人もいるのかもしれないが、美談になりにくいので表立って語られないのだろうか。いずれにしろ、仕事だけの人生は虚しいものだと語られることの方が、一般的には多いと思う。
 

男性より女性の方が幸せの本質を理解している

仕事を最優先とする価値観は、男のDNAにインプットされた本能から来ているような気がしている。
 
男が持つ闘争本能、狩猟本能が、仕事を通じて競争社会で勝ち抜くことを良しとし、会社で上に登っていくことが、元来の高いプライドを満たしてくれることになる。
 
このような本能に従って、がむしゃらに仕事に励んだ結果、死ぬ前に後悔するとすれば、男というのはなんて切ない生き物だろう。
 
仕事での成功が人生の成功と信じて疑わず突き進んだ結果、晩年になり、もっと大切なものの存在に気付くなんで、あまりにも虚しい。
 
こういった悲しい宿命を負った男たちに比べると、女性の方が、男のような妙な野心やプライドが少なく、本当に大切なこと、自分が好きなことに対して賢く時間を使うことに長けているように思える。
 
肉食系女子なんて言葉が出てきて、仕事欲の強い女性も確かに多くなってはいるが、どちらかというと家庭を重視し、夫や子供との親密な関係作りを望むのは女性の方だ。
 
個人差の問題なので、男性、女性と一括りにして区別すること自体がナンセンスではあるが、えてして男性の方が仕事での成功を強く望み、女性が家庭や人間関係を大切にしたいと考える場合が多く、こういった男女の価値観の違いで、すれ違いや対立が起こるのはよくある話だ。
 
女性が、家庭や人間関係を重視し、そこに人生の価値を無意識にでも置いている、そして実際にそこで深い幸福感を得ることが出来る。もしそうなら、男より女性の方が幸せの本質を生まれながらにして理解していることになるのではないか。
 
その意味では、家庭や人間関係の話だけではなく仕事そのものを選ぶ時にも、女性の方が、どういう状況に置かれると自分は幸せなのかということを直感的に捉えて、道を選んでいるケースが多いように思える。
 
会社の看板だとかお金といったつまらないプライドや目先の利益にこだわることなく、自分の興味や好きなことを考えた上で、大胆に決断できるのは女性の方だ。
 
周囲の人を眺めてみても、それなりに知名度のある大企業の看板を捨ててでも、本当に好きなことをしたいと会社を去り、生き生きとした社会人生活を送っているのは女性の方が多かった。
 
肩書きとか年収とかに縛られて、好きなことや大切なことを求めて、思い切った決断が出来ないのはむしろ男の方だ。
 
こんな場面を見ていても、やはり女性の方が幸せという感覚に対してアンテナが高く、人生で本当に重要な物は何かということを本能的に理解していることが多い気がするのだ。
 
やや、仕事ばかりの人生という話と論点がズレてしまったが、要は男よりも女性の方が、幸せの本質ということを本能的に理解して賢い選択、行動が出来ているのではないか。
 
自分の意思でもって、「がむしゃらに働いた」結果、後悔する男がこの世に多いとしたら、仕事での成功を望む男というものはなんと不幸な生き物か。
 
そうは言っても、仕事が出来ない男、仕事にやる気が無い男というのもなんとも情けないものだ。
 
一男性としては、仕事を頑張りながらも、晩年人生に後悔しないために、なんとか仕事以外のこととのバランスを取って生きたいものである。

盛り上がりだけを考えるなら、若いうちに結婚式を挙げた方が絶対にいい

結婚式の盛り上がりだけを考えると、ある程度若いうちに式をあげたほうが絶対にいい。

結婚式の出席を重ねれば重ねるほど切にそう思う。

何回出ても結婚式は良いものに変わりはないし、特に近しい友人の式ともなれば感動はなおさら。参加しているこちらまで幸せな気持ちになることは間違いない。

とは言え、年齢を重ねるにつれ、結婚式に出た時の感じ方、感動の度合いが変わってきていることを実感する。

やはり周囲より早いタイミング、二人がまだ若いうちの結婚式の方が、会場はより盛り上がり、純粋な感動が起こりやすい。

新郎新婦の年齢がある程度高い結婚式も、落ち着いた雰囲気で別の良さはあるが、盛り上がりという意味では、若者同士の式に敵わない。

こうなってしまう理由は単純で、式の参列者、そして新郎新婦、共に年齢が高くなること。これに尽きる。 

参列者の平均年齢上昇による影響

まず、参列者の年齢が全体的に高くなることの影響について考えてみる。

結婚式全体の雰囲気や盛り上がりは、参列者の反応に大きく左右される。 

式には同世代の友人、知人を参列者として招くことが多いから、結婚する年齢が高いと、当然参列者の平均年齢も上がる。

参列者の平均年齢が上がれば、式の雰囲気は落ち着いたものになるのが自然とはいえ、落ち着きすぎて覚めた反応になってしまうのもそれはそれで寂しい。
 
いい歳した大人がワイワイ騒ぐもんじゃないってことはあるにしろ、それ以上に参列者が結婚式という儀式そのものに慣れ、場合によっては飽きている可能性がある。
 
結婚式の全体的な流れはおおよそ似たようなものだ。
 
挙式では、牧師のお言葉から始まり、照れ笑いで登場する新郎、純白のドレスに身をまとった新婦と父親の入場、指輪交換に誓いのキス、その後のブーケトスから記念撮影。
披露宴では、新郎の挨拶からの、主賓の言葉、乾杯で食事を楽しみながら、ケーキカットとファーストバイト、お酒を片手に新郎新婦を取り囲み、途中に二人の馴れ初めムービーや、内輪メンバーによる余興や友人スピーチが入り、新婦から両親への感動の手紙。
 
新郎新婦の好みによって多少の違いはあれど、結婚式の流れは人によってそんなに大きく変わるもんではない。
 
もちろん、同じ段取りでも新郎新婦と自分の関係性によって全然印象は違うが、そうは言っても式の雰囲気には慣れ、程度の差はあれマンネリ化する。
 
やっぱり1回目に参加した結婚式と、10回目に参加した結婚式では、参加する側の新鮮味は全然違う。
 
結婚式への列席を重ねると無意識にでも他の友人との結婚式と比較してしまったり、会場がかぶってたりしたらそれだけで既に新鮮味や緊張感は薄くなる。
 
私も1回目に参加した式では、そこまで親しくない先輩の結婚式にもかかわらず感動のあまり号泣してしまったが、正直ここ最近の結婚式で泣いた記憶がない。(感動していないわけではないが、ある程度冷静に見れるようになった。)
 
単に心がすさんでしまっただけのような気もして悲しくなるが、そもそも年齢と共に純粋な感動をしにくくなるのが人間というものだと、もはや開き直るしかない。
 
それに、感動が薄れるという意味では、既婚者比率が高くなっていくのも大きいと思う。
 
既婚者は、結婚に対してキラキラした夢を抱いていることはもはや無く、結婚とは地に足をつけた生活そのものだと身にしみて理解している。
 
参列者に独身メンバーが多いと、結婚への憧れとか、結婚式そのものへの羨望の眼差しがあったりして、自然と参列者の思いも熱くなるが、既婚者になるとそうもいかなくなる。
 
そもそも恋愛モードからは卒業しているので、二人の馴れ初めとか恋愛話を聞いても「懐かしいなあ」とか「若いなあ」みたいなオッサン、オバサン的な感想になりがちだし、何しろ結婚式を自分たちで一度やっているので、テーブルの花にずいぶんお金をかけてるな、とか、ご飯はそんなにイケてないな、とか、イヤらしい視点で式の様子を眺めたり、分析したり、私はしたことが無いが、そんな人もいるかもしれない。
 
とにかく、参列者が大いに共感し、感動するためには若いメンバーが多い方がいいことは間違いない。
 
なお、子持ちの男の中には、自分の娘が将来嫁いでいく姿を想像して泣くという、新たな感動メカニズムを持つ人種が出現するが、ここでは例外として扱うことにする。
 
また、精神的に若すぎる新郎新婦や参列者が、空気の読めないバカ騒ぎをして興醒めする式もあるようだが、これはどちらかというと個別の人間性の問題なので考慮しないことにする。
 
新郎新婦の年齢上昇による影響
 
参列者以上に、主役である新郎新婦の年齢によって、式の雰囲気が大きく変わるのは当然である。
 
まず、一定の年齢に達した二人から醸し出される「純愛オーラ」が薄くなることはどうしても避けられない。
 
若者同士の結婚式は、二人が愛だ恋だの語り合いながら、気持ち優先で一緒になっていることがすごく伝わるので、純粋な感動を呼びやすい。
 
一方、大人同士の恋愛は、単純な好き嫌いだけではなく、背後に色々な事情が見え隠れすることがある。
 
勤務先や収入、肩書きや家柄などのスペックにも惹かれたんだろうなとか、結婚のチャンスに恵まれず繰り返しの合コンの末やっと捕まえたんだなとか、性格の悪い人ならそんな邪推が入ったりする。
 
もし打算的なものや、妥協や折り合いなどの大人のドロドロした事情が二人の関係に垣間見えてしまうと、そこから純粋な感動がよびおこされることは無い。
 
なんだかんだ言っても結婚は神聖なものだし、参列者も結構そこにロマンティックなものを求めていたりする。
 
大人の事情ではなく、ピュアな恋愛の延長にその結婚があるかどうかは、参列者も結構敏感に感じ取る。
 
ここでやっかいなのは、もし二人に打算的な色が無く、超純愛の上に結婚までこぎつけていたとしても、いい歳をした大人同士が恋だ愛だと言っていたら周りが白けやすくやることだ。
 
20代の若者の馴れ初めやデートの思い出ムービーは微笑ましいが、30代以上のそれは見るに堪えない。
 
そもそも他人のノロケ話やラブラブ写真なんて誰も見たくはないものだが、結婚式の雰囲気によって、オープンに思いっきりノロケ話をすることもよしとされる。
 
しかし、それが許されるのもある程度若い世代までだ。
 
いい大人が好きだの愛してるだの公然と語り合う光景は割と寒いし、深い共感を呼ぶのはかなり難しい。
 
若いうちに式を挙げることの価値はそれなりにある
 
このように、新郎新婦はもちろん、参列者の平均年齢も上がることにより、結婚式全体のテンションが下がってしまうのは避けられないことだ。
 
かといって、別にいい歳したら結婚式をあげなくていいとは思わないし、大人同士の落ち着いた雰囲気の良い式だってある。
 
早く結婚したいからと言って、妥協して相手を選んだり、式だけを目的に結婚を決めたりするのは本末転倒だ。
 
だが、しかしだ、普通の人ならおそらく人生で一番注目を浴び、主役になれる晴れ舞台が結婚式だ。
 
その日に最高の感動、幸福感を参列者に与えたいなら、若い時に結婚する方がいいし、結婚式とはそれだけの価値があるイベントだと思う。
 

どんなに高学歴でデキるやつでも3年目まで発言権が無いのは仕方ない

新卒で入社した会社で、入ってすぐに責任のある仕事を求めたり、大きな成果を出したいと焦ったり、ましてや能力が適正に評価されていないと不満を持つことは、たいていの場合お門違いだ。
 
バイト以外で働いた経験の無い新卒社員が、入社してすぐに会社で大きな成果を出し、認められることなんて普通は難しい。
 
もし大きな成果を出したとしても、まぐれの一発当たりか、会社全体から見るとたいした貢献度のものではないか、いずれにしろ会社からすれば入社したての若手なんてたいした存在ではない。
 
むしろ、入ったばかりの若手が社内で存在感を持ち、すごい仕事をしてしまうような会社は、そこにいる社員のレベルがたいしたことなくて、そこでやっている仕事もたかがしれているんじゃないかと思ってしまう。
 
目安として、3年前後は上司や先輩の下について仕事の基礎を学んで行かないとまともな仕事なんて出来るわけがない。
 
3年以内に社内で頭角を表し、大きな成果を出すなんて、よほどのスーパーマンじゃなければ不可能だ。
 
時々、特にweb関連の業界を中心に、入社2〜3年で新規事業の責任者を任されたとか、新サービス立ち上げを経験したなんて話を聞くものだが、これらの業界が若手にも責任を与えるのは、挑戦して失敗した時のリスクが低いからだ。
 
一般的なwebサービスは初期投資コストが低く、例え失敗したとしても会社に大きな損失はないし、新規事業なんて失敗してナンボということもあって、リスク覚悟で若手にチャンスを与えることもあるだろう。(そもそもこの手の業界は平均年齢が若い、人手が足りていないということもあるが。。)
 
そういう意味で、業界や会社を選べばすぐに成果を実感する仕事は出来るかもしれないが、ある程度規模のしっかりした会社であれば、会社として失敗が許されない事業、責任の大きなビジネスに、入社してすぐの若手を登用することはありえない。
 
例えば、社内で大きな売上高を占め、高度な交渉と豊富な業界知識を要求される大手企業の営業責任者をいきなり若手に任せる会社は無い。
 
会社が社運をかける大きなプロジェクトで、複数の社内、社外の関係者を巻き込み、高度な知識レベルとリーダーシップが求められる責任者に入ってすぐのペーペーを抜擢するわけがない。
 
会社にとって失敗が許されない、責任の大きな仕事には、社内で実績を積み、信頼を獲得してからで無いと任せてもらえないのが普通だ。
 
外資系だと若くても裁量権があるとか、自由にやらせてもらえるとか言われるが、それもある程度の経験を積んでから。
 
むしろ外資系であればそもそも残っている社員が皆それなりの努力の末、スキルを磨いてきたメンバーなのであって、その中で若手が活躍しようと思ったら尚更ハードルが高いともいえる。

下積み期間を経て、徐々に仕事を任せられるようになる

入社してしばらくは下積み期間として、言われたことをがむしゃらにこなして仕事の基礎を学んでいくものだと思う。
 
これが理解できず、入社して間もないうちに過剰な自己アピールとか勘違いなふるまいをしている社員というのが毎年少なからずいる。
 
自分に自信があることは結構だが、学生あがりの若者の過剰な自意識と慢心に、多くの社会人は辟易している。
 
そんな若手に対して、昔の自分を思い出して逆に腹が立つのか分からないがおじさん達は厳しく、だいたい先輩方による社会の洗礼を受けることになる。
 
経験が無い若手には、たいした仕事は出来ない。
10年以上も社会人を経験した人なら誰しも思っていることだ。
 
なぜなら、入社したての自分の無力さ、無知さ加減をよく覚えているから。
 
今、自分がやっているレベルの仕事を、入社すぐの自分にやれと言われても到底難しいことをよく知っているからだ。
 
本来人によって才能も能力も違うから、入社したての自分の能力を基準にして若手のスキルを推し量ることはナンセンスなのだが、基礎能力が似たレベルの人が集まっている会社ならば、あながちその感覚は誤りではない。
 
自分が、3年目くらいまではどうしようもなく未熟だったのだから、どんなに新卒学生がもの凄いポテンシャルを持っていようが、若手というだけで経験不足と判断してしまうのはやむを得ないことだ。
 
その意味で、ある程度レベルの高い会社に入ったならば、すぐに仕事を任せてもらえないとか、成果が中々出ないとかいうことに焦らず、しばらくは我慢してじっくり基礎を固めることに集中した方が良い。
 
目の前のことがどんなに小さなことであってもしっかりこなすようにすれば、その働きを見てくれる人が必ずいて、徐々に仕事を任せてもらえるようになるし、社内での権限や責任も自然と大きくなっていく。
 
それまでは下積み期間だと割り切って、「誰でも出来る仕事をやらされる」とか、「社内で全く発言権が無い」なんてことは普通だと割り切った方が良い。
 
その期間は、プライドを押し殺してでも、周りの先輩からのアドバイスを真摯に聞く、仕事を盗むチャンスを積極的に作っていく謙虚さが必要だ。
 
結局は、そういう人間が周囲から可愛がられ、情報が集まっていく。徐々に仕事が身についていくにつれ信用が出てきて、大きな仕事を任されるようになる。
 
どんなに才能がある人間でも、基礎固めの時期というものはある。
 
入社してすぐの修業期間は、口だけのアピールや形ばかりの成果を急ぐのではなく、頭角を現すための地道な努力を続けていく方が、長い目で見ると大きな成功に繋がっていくものだと思っている。